ウイッキーさんの、おだやか日和
アントン・ウイッキーさん(69歳)は、スリランカ出身の国際比較学者。その明るくやさしい人柄と、日本語力&英語力で、日本テレビ系『ズームイン朝!』の「ウイッキーさんのワンポイント英会話」という名物コーナーを15年間も担当し、お茶の間ですっかりお馴染みとなりました。現在も客員教授として大学の教壇に立つかたわら、テレビやラジオにも出演。69歳になられた現在でも、元気いっぱいに活躍されています。そのウイッキーさんも、『フェルガード』の愛飲者。このコーナーでは、毎日『フェルガード』を4包飲み続け、元気に、そしておだやかな気持ちで過ごす日々をご紹介していきます。
第3話 青春の思い出、あの一字一句も…
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思い出せる喜びを、いつまでも
今回は、僕が来日したころのお話をしましょう。
もう40数年も前のことですが、若い頃の思い出って、いまでもけっこうはっきり覚えているものですね。でも、それが消えていく認知症――家族やまわりの人びとから介護の手を借りなければならないのもつらいですが、自分の生きてきた証しである思い出が消えてしまうことは、きっと、もっとつらいんじゃないかな、と思うんです。

僕が昨年、「認知症じゃないか」と妻に勘違いされ、病院で検査を受けたり、その結果を待っている間、僕の過去が消えていき、僕が僕でなくなってしまったら…なんて考え、寂しい思いをしました。
幸い認知症ではなかったのですが、それ以来、自分で意識的に、積極的に、予防に努めるようになりました。
さて、話を戻すと、僕はスリランカで育った子どもの頃、パイロットになりたかったんです。大空を翔(かけ)るパイロット、素敵でしょ!
でも学校ではずーっと水泳部に入っていて、そのうちに空よりも海が好きになりました。で、島国、海洋国、日本にも興味をもつようになりました。
日本語は、日本に来てから猛勉強!
20代のときに、日本に留学のチャンスがおとずれました。日本の文部省(当時)がスリランカで行う留学生募集の試験にパスすれば、日本で勉強ができる。これはもう、受けるしかありません。 しかし、試験に合格して日本に来て、はじめて文部省にだまされて、連れてこられたことがわかったんです(^_^;)。
だってスリランカで行われた試験は、英語だったんですよ。筆記試験は、もちろん英語。面接試験も、日本人と英語で質疑応答。そして合格通知も英語で書かれていました。当然、日本へ行っても安心して英語で教育が受けられると思うじゃありませんか。

ところが来日してビックリ! だ~れも、英語を話さないんですよ。日本での教育は、日本語で行われる――エーッ、そんなの聞いてないよ~。
時、すでに遅し。もう日本にいるんだから、日本語をなんとかしなくっちゃ…。そのときに先輩から短期集中の日本語講座があることを教えてもらいました。さっそく受講すると、ここがまた凄まじい厳しさ。
朝の9時から12時までの講習でしたが、その日の復習と次の日の予習のために、帰宅してからも5~6時間ほど日本語の勉強をしなければなりません。もちろん、他の勉強もあるし…、人生であれほど勉強した日々は、他にありませんでした。
受講生は15人ほどいたのですが、受講卒業できたのは、僕とアメリカ人の女性の2人だけ。でも、ここで僕の日本語の土台ができたことは、僕の人生を最高のものにしてくれました。
稲村ヶ崎のクリスマス
日本語でなんとか話せるようになると、大学の先生から「親戚の女の子が、外資系の会社に就職するので、英語を教えてほしい」と頼まれました。
日本の女性と接することは、日本語の勉強にもなるだろうと、軽い気持ちで引き受けました。
ところが、この女の子の英語が、全然ダメ! よくこれで外資系の企業に就職できたなァと、あきれるほどヒドイ! 僕は、自分が厳しい日本語講座をのりこえて、日本語の土台をつくったので、彼女にも厳しく教え込みました。
しかし、彼女はちょっと叱ると、すくに泣き出すんです。とにかく気が弱い。日本の女性“ヤマトナデシコ”は、奥ゆかしいだけでなく、気が弱いんだ、と思いました。
辛抱強く、やさしく、僕は教え続けました。そのうちに、「こんなに気の弱い女性は、僕がついていないとダメだ…」と思い始めました。そう、いつの間にか、僕は彼女に恋してしまったのです。
ある年のクリスマスの夜。ふたりで稲村ヶ崎(神奈川県鎌倉市の南部、七里ヶ浜と由比ヶ浜との間の岬)の海岸に出かけました。冬の潮風は冷たいけれど、月の輝く、美しい夜でした。月の光は僕に魔法をかけてくれ、渾身の勇気を奮い立たせ、僕の口から「僕と結婚してくれますか…」という言葉を出させてくれたのです。
稲村ヶ崎のクリスマス
この時に、気がつけばよかった! 彼女から返ってきた言葉は、何だと思います? 「エッ、私が? あなたと? そんなワケないでしょッ」 まー、ヒドイ。あー、ガッカリ。くー、カナシイ。言葉には言い表せない、僕の落胆……。
結局、いろいろありましたが、僕は彼女と結婚することができました。そして結婚すると、気の弱かった“ヤマトナデシコ”の彼女が、みるみる気の強い“ヤマの神”になったのです。
男性が「結婚」を言葉にしたときから、日本の女性は強くなる。そう、あの冷たい無慈悲なプロポーズの返事のときに気づいていれば……。
その気の強い妻に、昨年は「認知症検査」に引っ張りまわされましたが、おかげで僕の認知症予防の意識が高まり、フェルガードにも出合えました。だから奥さん、いまでもこうしてあの時の、無慈悲なプロポーズの返事を一字一句覚えております!
Have a nice day!
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